なべざらし

ねーねーサボすけ、『エリーゼのために』って知ってる?

さぼすけ

さすがに知ってるわ。あのピアノの有名な曲のことだろ?

なべざらし

そうそう。最近小耳に挟んだんだけど、エリーゼのためにってエリーゼのために作った曲じゃないらしい。

さぼすけ

なんだってええええええええええええ!!!??!?じゃあ一体誰のために作った曲なんだよおおおおおおおお!!??!?

なべざらし

というわけで、今回はそんなエリーゼのために、その作者であるベートーヴェンについての雑学をご紹介していきますよ。

さぼすけ

早く教えてくれよおおおおおおおおおおおおお!!!

 

 

エリーゼのためにとは?

それでは、早速エリーゼのためにについての
雑学をご紹介していきたいと思います。

 

まずはエリーゼのためにの基本的な情報から。

 

エリーゼのためにとは、1810年にドイツの作曲家である
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートヴェンによって作られたピアノの名曲です。

 

ベートヴェンさんは音楽の教科書などにもよく登場するので、
名前を聞いたことがないという方のほうが少ないであろう人物ですが、

本名はけっこう長くてどことなく厳かな感じのする名前なんですね。
(特に途中に「ヴァン」が挟まるあたりがなんとなく厳かな感じ。)

 

 

ベートヴェンはどんな人?その生涯について

 

エリーゼのためにの他にも、

・第九
・アテネの廃墟
・クロイツェル

などなど、挙げだせばキリがないほど
様々な名曲を生み出してきたベートヴェンさんですが、
彼は一体どういう人物だったのでしょうか?

 

次はその生涯についてご紹介していきたいと思います。

 

ベートヴェンさんは1770年12月16日に長男として生まれました。

 

お父さんは宮廷歌手、お母さんは宮廷料理人の娘だったそうです。

 

ベートヴェンさんのお父さんは実は題の酒好きで、
そのせいでお家の経済状況は芳しく無く、
お爺さんからの援助でなんとか生活をしていました。

 

しかし、1773年になるとそんなお爺さんも亡くなってしまい、
家計はいよいよ持って火の車になってしまいます。

 

そんなベートヴェン一家はどうしたかと言うと、
なんとお父さんがベートヴェンさんの音楽の才能を見込んで厳しい英才教育を始め、
ベートヴェンさんを一家の大黒柱にしようとします。

 

さぼすけ

とんでもねえ親父だな。

なべざらし

酒は人間を狂わせる。みんなも程々にせんといかんよ。

 

 

音楽が嫌いになりそうだったらしい

 

そんな事もあって、ベートヴェンさんは
一時は音楽そのものが嫌いになってしまった時期もあったんだそうです。

 

英才教育の甲斐あってか、ベートヴェンさんは
16歳になる頃には複数の仕事を掛け持ちし、
飲んだくれのお父さんに代わって家計を支えていたんだとか。

 

そんなベートヴェンさんが世間的に脚光を浴び始めるのは1792年頃になってのこと。

 

当時出会ったハイドンという
高名な作曲家さんに才能を認められたベートヴェンさんは、
ピアノの即興演奏の名手として名声を得ていきます。

 

しかし、20代後半になるとベートヴェンさんは持病の難聴が悪化し始め、
28歳になる頃には最高度難聴者になってしまいます。

 

音楽家として聴覚を失うというのは、
例えるならボクサーが腕を失うようなものでしょうか。

 

なべざらし

そしてなべざらしに例えるなら鍋を失うようなものだな…。

さぼすけ

ただのアザラシに戻るだけだろそれ。

 

 

深い絶望に陥ったベートヴェンさんは自ら命を絶つことも考えましたが、
音楽への情熱の方が絶望に勝り、さらに音楽の道を突き進んでいきます。

 

その後、ベートヴェンさんは他の持病の腹痛や下痢などに苦しみながらも、
様々な名曲を作り続け、1827年3月26日に肝硬変によって56歳で死去。

 

その葬儀にはなんと2万人もの人々が参列したんだそうです。

 

なべざらし

この参列者の数こそ、多くの人々にベートヴェンさんが認められていたという証なのかもしれませんな。

 

エリーゼのためには実は「テレーゼのために」だった!?

それでは、ここでようやく今回の本題です。

 

ベートヴェンさんの代表作の一つとして知られるエリーゼのために。
実はこれはエリーゼさんのために作った曲ではなかった!というお話。

 

ベートヴェンさんは40歳の頃、まだ17歳の弟子の女性に恋をします。

 

さぼすけ

愛に年齢は関係ないって言うからしょうがないな。

 

エリーゼのためにはこの女性のために作られた曲と言われていますが、
実は後になってこの女性の名前はエリーゼではなく

「テレーゼ」ではないか?という説が浮上しました。
(フルネームは「テレーゼ・マルファッティ」というそうです。)

 

エリーゼのためにという曲は
ベートヴェンさんの死後40年してから発見された曲です。

 

しかし、実はベートヴェンさんは字が汚かったらしく、
発見当時その曲のタイトルはテレーゼのためにではなく
エリーゼのためにと読み間違えられてしまったそうです。

 

これがエリーゼのためにの誕生秘話ということですね。

 

なべざらし

字が汚すぎて読み間違われるなんてまだマシな方だよ。俺の字なんて学校の先生が『甲骨文字みたいだ』って言って匙投げたくらいだからね。

さぼすけ

胸張って言うことでもないけどな。

 

 

読み間違えじゃないという説もある

この「エリーゼのために実はテレーゼのためにだった説」ですが、
近年ではそうではないという別説もあるようです。

 

というのは、エリーゼのためには
「エリザベート・レッケル」という歌手の方のために
作られた曲なのではないか?というもの。

 

エリザベートの愛称でエリーゼということですね。

ただ、現在となってはこれを裏付ける証拠も見つからず、
真相は闇の中…となっております。

 

なべざらし

一体何が真実なのか…。

さぼすけ

過去の真実を判明させるのってけっこう大変そうだよな。

 

 

おまけ:ベートヴェンの肖像画は何故不機嫌そうなのか?

 

ベートヴェンさんの肖像画というのは
皆さん学校の音楽室などで見たことがあると思いますが、

何かちょっと不機嫌そうな顔をしている…
という印象を持ったという方は俺だけではないはず。

 

実はこの肖像画、元からベートヴェンさんが人相が悪いだけ…
ということではなく、本当に機嫌が悪い時に描かれたものなんだそうです。

 

何故こんな表情になったのか?と言うと、
肖像画を描いてもらう日に家政婦さんが作った食事の
マカロニチーズが焦げていたから…なんだそうです。

 

ベートヴェンさんはマカロニチーズが大好物だったのですが、
そんな大好物が焦げた状態で出てきたもんだから大激怒してしまい、
その日は大変不機嫌だったんだとか。

 

そんな日に肖像画を描いたもんだから、
自然とその表情も怒りがにじみ出たものになったというわけですね。

 

ちなみにベートヴェンさんは割としょっちゅう
家政婦さんたちとは喧嘩してたんだとか。
けっこう気難しい感じの性格だったみたいですね。

 

さぼすけ

天才っていうのはやはり気難しい人が多いんだろうか?

なべざらし

でも、大好物をウキウキしながら待ってたら焦げた状態で出されて、一気にテンションが天国から地獄に突き落とされた時の怒りと悲しみというのはけっこう共感出来る部分もあると思います。

さぼすけ

期待がでかい分、落胆の気持ちも大きくなるからな~。

 

 

エリーゼのためにまとめ:学校の教科書とかもいずれ変わるんだろうか?

 

ベートヴェンさんの代表作のエリーゼのために、
実は字が汚いことによる読み間違いだったというのは
けっこう衝撃的なお話でした。

 

もしこの説が立証された場合、音楽の教科書とかも見直されて
「テレーゼのために」に表記を改められたりするのでしょうか?
そこらへんちょっと気になる所です。

 

まあ何にせよ名曲なことには変わりないので、
些細なことなのかもしれませんね。

 

なべざらし

みんなも変な読み間違いをされたりしないように、字は綺麗に書くことにしましょう。それではさいなら。