さぼすけ

相撲が取りたい。

なべざらし

いきなり怖いこと言うなよ…。お前のその触れるもの皆傷つけるトゲトゲボディで相撲なんて取ったら不幸な結果しか生まれないぞ。

さぼすけ

いや~やっぱ男の格闘技といったら相撲だよな。あの圧倒的なフィジカル同士の激しいぶつかり合い!土俵際での手に汗握る攻防!

なべざらし

他の格闘技と違ってごく短時間で決着がつくっていうのも手軽に見れていいよね。

さぼすけ

そんな相撲を一度は体験してみたかったけど、そうか…俺のこの全身凶器ボディに耐えられる相手はいないのか…。つまり俺は既に最強だったのか…。まともに戦える相手がいない範〇勇次郎ってこういう気持ちだったのかもしれないな。

なべざらし

(また意味わかんねーこと言い始めたな)とりあえず、その虚しさを埋めるために今回は相撲についての雑学でも調べてみようぜ。

 

 

相撲と言えば日本の国技

なべざらし

厳密には法令で定められていないので「正式な国技」ではないらしいけど、人々の心の中では立派な国技だよね! なんとも難しい立ち位置みたい。

 

巨体を誇るお相撲さん同士が力強くぶつかり合うその様は
まさに大迫力の一言に尽きます。

 

そんな我々に馴染みの深い相撲ですが、

・一体いつからはじまったのか?
・どういう歴史があるのか?
・どんな有名選手がいるのか?

などなど、実はあんまりよく分かっていない部分も
けっこう多いのではないかと思います。

 

今回はそんな男の中の男の格闘技、
相撲についての雑学をご紹介していきます。

 

相撲の起源とは?

まずは

・相撲とは一体いつから始まったのか?
・どう変化してきたのか?

という相撲の起源や歴史について見ていきましょう。

 

日本における最初の取り組み(相撲の試合のこと)は、
日本書紀にある「当麻蹴速(たいまのけはや)」と「野見宿禰(のみすくね)」、
両者の戦いではないかと言われています。

 

この当麻蹴速はとんでもない怪力を誇っていたことで有名で、
誰も勝てる人がいませんでした。

 

そんな当麻蹴速が

「オラもっとつええやつとたたけぇてぇ!(意訳:俺もっと強いやつと戦いたい)」

と言うと、その話は当時の天皇である垂仁天皇の耳にも入ります。

 

当麻蹴速に強い興味を持った垂仁天皇は、部下に
「どっかに当麻蹴速と互角の強さを持つ猛者はおらんもんか?」と尋ねます。

 

すると部下は
「何か出雲の国にも凄まじい強さの男がいるそうです」
と天皇に教えてくれたそうです。

 

その出雲の国のつええやつこそ野見宿禰です。

 

垂仁天皇はこの当麻蹴速と野見宿禰の力比べを是非見たいと思い、
両者を呼んで対決させることにしました。

 

ちなみに、この勝負を制したのは当麻蹴速で、
決まり手はなんと「蹴り」だったそうです。

 

当時のこの勝負は現代の相撲のようなぶつかり合いではなく、
純粋な戦い・力比べという感じだったようで、蹴りも普通にOKでした。

 

当麻蹴速は速い蹴りを得意としていたから
当麻蹴速と呼ばれていたという説があります。

 

この当麻蹴速の必殺の蹴りは野見宿禰の肋骨、
そして腰の骨を砕いたと言われています。

 

この両者の戦いこそが相撲の起源ではないかと言われています。

 

なべざらし

つええ奴が二人いると、『どっちがつええんだ!?』と思ってしまうのが男の性。垂仁天皇もその衝動には抗えなかったわけですな

さぼすけ

それにしても、骨をも砕く蹴りとは一体どれだけのパワーだったのか…。当麻蹴速恐るべし。

 

 

 

相撲の正式な歴史は奈良時代から

 

日本の歴史上に正式に相撲が現れたのは奈良時代のことです。

 

当時の天皇である聖武天皇は、
前述の当麻蹴速と野見宿禰の戦いの故事を知ります。

 

それを元に天平6年(734年)7月7日、
つまり七夕の日に大規模な相撲大会を開くようにしました。

 

この相撲大会には全国から選抜されたエリート戦士が参加し、
凌ぎを削り合ったそうです。

 

また、この大会の開催に当たって聖武天皇は

・パンチ禁止
・キック禁止

というルール変更をします。さすがに危険だと思ったのかもしれません。

 

なべざらし

実際、野見宿禰は蹴りで肋骨や腰骨を砕かれて死んでしまったしね…。

 

この当時の相撲大会は単純なお祭りや娯楽としてだけではなく、
豊作などを祈り、神様に感謝するための神事という意味も強かったようです。

 

この大会は毎年の七夕の日に開催され、承安4年(1174年)まで続いたそうです。

 

さぼすけ

400年以上も続いた行事なんて中々ないんじゃないかな…。

 

 

相撲は武士のたしなみ?

 

神事・お祭りとしてスタートした相撲ですが、
鎌倉時代や室町時代になるとその意味合いは徐々に変化していきます。

 

この時代になると、相撲は武士にとっての
トレーニングの一環というポジションに変わって来ていたそうです。

 

戦いの基本は刀や槍などの武器によるやり取りですが、
この相撲の技を身に着けているかどうかが勝敗を分けることもあり、
相撲は武士の必修科目のように思われていたそうです。

 

ちなみに、日本の武将の中でも
特に有名で高い人気を誇る織田信長ですが、
彼は相撲がメチャクチャ好きだったんだとか。

 

織田信長は自身でも何度も相撲大会を開いたり、
相撲大会のルール制定に尽力したりと
相撲に関するエピソードが数多く残されています。

 

また、織田信長が開く相撲大会は
優秀な成績を残した力士に太刀や土地などが贈られたり、

家臣として召し抱えられることもあったため、
立身出世のチャンスとして多くの人が参加しました。

 

なべざらし

現代では学歴とか面接の態度とかで就職出来るかどうかが決まったりするから、こんな風に実力を見せつけてアピール出来る機会ってあんまりないよね~。

さぼすけ

そう思うと、織田信長の開いた相撲大会ってけっこう夢のある話だよな。

 

 

再び娯楽としての相撲復活!

 

江戸時代の頃になると、相撲は武士のトレーニングとしてではなく、
再び庶民の娯楽としての様相に戻っていきます。

 

この頃流行した相撲は「観進相撲」というものでした。

 

この観進相撲というのはお寺や神社の
メンテナンスのための費用を集めると言うのが目的のものです。

 

ただ、力自慢の大男が一か所に集まると言うのは、
トラブルが起きる可能性もあったので江戸幕府は相撲を禁止しようともしました。

 

しかし、民衆が楽しいことをやめろと言われて
はいそうですかと素直に聞くわけはありません。
結局娯楽としての相撲は廃れませんでした。

 

なべざらし

民衆から娯楽を奪うなんて政府の横暴だ!

 

そんな庶民の娯楽相撲ですが、
明治時代になると一転して存亡の危機に陥ります。

 

というのも

「力士のほぼ全裸に等しい姿が外国人にとってショッキング過ぎた」

というのが原因です。

 

さぼすけ

そう言われるとぐうの音も出ないな…。

 

これから諸外国と対等に渡り合っていくために
日本は文明国であることをアピールしたい政府にとって、
これは大変頭の痛い問題でした。

 

そのため、相撲は一転して「野蛮な娯楽」という烙印を押され、
批判されるようになってしまったのです。

 

しかし、力士達は式典などの旗持ち役を買って出たり、
消防活動に協力したりと社会奉仕に勤しみ、
興行を行う許可を再び得ていきました。

 

そして決定的だったのは、
天皇様が相撲を観戦しにくる行事、
「天覧相撲」の開催です。

 

天皇様が見ているような娯楽が
非文明的で野蛮な行為であるはずがありません!
…ということで、相撲を批難する声は消えていきました。

 

こうして存亡の危機を脱した相撲は、
現代でも日本の国技として親しまれているわけですね。

 

相撲とモンゴル相撲の違いって何?

相撲

なべざらし

そういえば、モンゴル相撲ってあるけど、あれって日本の相撲と何が違うの?

 

あなたも同じような疑問を持ったことはありませんか?
ということで、次は相撲とモンゴル相撲の違いについて調べてみましょう。

 

モンゴル相撲と日本の相撲とでは、
まずルールがけっこう違います。

 

例えば、なんとモンゴル相撲には土俵がありません!
そのため、勝敗は基本的に相手を押し倒すことで決まります。

 

ちなみに

・頭
・背中
・お尻
・膝
・肘

いずれかが地面についた方が負けなんだそうです。

 

ただし、手は敗北条件に含まれていないので、
手をついてもOK!ここも日本の相撲とは大きく違いますね。

 

また、モンゴル相撲はボクシングのように、
力士一人につき一人セコンド役がついてもいいんだとか。

 

ちなみに、モンゴル相撲もその発祥は神事であったり、
その後兵士の訓練に取り入れられたりと、
日本の相撲の歴史に似たような歴史を辿っています。

 

なんだか親近感が湧きますね。

 

なべざらし

よし、モンゴル相撲の力士としてデビューするからサボすけはセコンドやってくれ。アドバイスよろしく!

さぼすけ

お前は肘と膝が無い分敗北条件が少ない。素質はあるはずだ!

 

相撲の変化って何?何故問題になるのか?

 

相撲と言えば「はっけよ~い…のこった!」の合図と同時に
力士同士が激しくぶつかり合う…というのが定番ですよね。

 

しかし、たまに正面からぶつからずに
左右に身をかわす様子も見られる時がありますが、
あれは一体何なのでしょうか?反則ではないのでしょうか?

 

実はあれは相撲用語で「変化(へんか)」と呼ばれるもので、
相手のペースを乱すための一種の奇襲のようなものだそうです。

 

しかしこの変化というのは

・変化はその場限りの要素が強く、変化で勝っても実力での勝利にはならない
・激しいぶつかり合いが相撲の醍醐味だから、変化は見ていて面白くない

という意味で批判されることが良くあります。

 

特に、横綱や大関などの位の高い力士が、
自分よりも格下の力士相手に変化をした時は
激しいブーイングの嵐が巻き起こることもあります。

 

さぼすけ

日本人って世界的に見てけっこう大人しいけど、そんな日本人がブーイングするってなると相当の大事なんだろうな~。

 

ただ、この変化は反則ではなく、
反則になることはないという意見もあります。

 

理由としては、変化が反則になると、
立ち合いでの駆け引きが一切なくなり
単調な競技になってしまうこと。

 

そして、相手の変化に対応する能力も
力士の実力の一つだからということです。

 

相手が自分よりも大きな体格の場合や、
歳をとって全盛期ほどのパワーが出ない力士の場合、
変化によって勝ちを拾いに行くと言うのも理解できます。

 

ただし、相撲とは観客に見せる興行なので、
観客が見ていてガッカリする展開というのも好ましくありません。

 

ただ、その観客の中にも

・男らしい力強いぶつかり合いが見たい!
・小兵力士が大型力士にテクニックで勝つところが見たい!

という趣味趣向の違いがあるため、
変化に関する問題は現代に至っても長く続いています。

 

なべざらし

お客さんの中でも求めるものが分かれてるし、力士とお客さんでは立場も違う。中々難しい問題だよね~。

 

 

相撲の最高位!横綱になる条件とは?

 

相撲と言えば横綱、横綱と言えば相撲。

 

相撲の最高位として位置している横綱ですが、
横綱ってどうすればなれるのでしょうか?

 

なべざらし

俺も当然横綱を目指しているので、是非知りたい!

 

という事で、横綱になるための条件を調べてみましたので、
最後にご紹介していきたいと思います。

 

横綱になるための条件とは

・大関の地位で2場所連続優勝
・またはそれに準ずる成績を上げる

というものだそうです。

 

「大関で」というのがポイントで、
関脇以下の力士の場合は2場所連続優勝しても
横綱にはなれないそうです。

 

また、2場所連続優勝というのもミソで、
1場所なら幸運に恵まれて優勝することもあるいはあるかもしれませんが、
2連続となると運だけでは勝ち越せません。

 

横綱というのはやはり、確かな実力を持ち、
実績を積み重ねた力士のみが辿り着ける栄誉ということですね。

 

なべざらし

横綱への道は険しく果てしないのね…。

 

相撲についてまとめ:これからも末永く残り続けてほしい

 

神事やお祭りとして始まり、
いつしか大衆の娯楽として定着した相撲。

 

相撲の歴史はまさに日本の歴史とも言えますので、
日本で相撲が高い人気を誇っているのも納得な気がします。

 

大衆の娯楽として、相撲はこれからもずっと続いてほしいなぁと思いました。

 

なべざらし

というわけで、今回は相撲見ながら寝ます。