絵とかの芸術って、○○派みたいなやつたくさんあるよね?
あるな。
ああいうのってどれがどういう流派なのかよく分からないって印象あるわ~。芸術にあんまり詳しくないし。
印象…?
印象といえば…?
そう!印象派です!
というわけで、今回も流れるような前置きで始まりました『なべのけしき』。今回は絵画の流派の一つである印象派についての雑学をご紹介していきますよ!
いつもながらメチャクチャ不自然なスタートだな。
不自然過ぎるスタートで大変申し訳ありません。
だが反省はしていないなべざらしです。
絵画や芸術の世界というのは非常に奥深く、
実に様々な表現技法や流派があると思います。
俺はあんまり芸術には詳しくはないのですが、
ある日テレビで印象派の絵が云々という番組を見て
「絵の流派ってたくさんありそうだけど、印象派って何だろ?」
と、ふと疑問に思ったので調べてみました。
という事で、今回はそんな印象派の特徴や由来などについてご紹介していきます!
印象派の絵の特徴とは?
まずは
・印象派とは一体なんなのか?
・印象派の絵ってどんな特徴があるのか?
という点についてご紹介していきたいと思います。
印象派というのは19世紀後半にフランスで起きた絵画の流れの一つです。
印象派の起こりは1870年代と言われており、
その頃は技術の発達によってチューブ入りの絵の具が開発された時期でした。
そして、印象派の目指したコンセプトには
「光の輝きや変化を追求する」というものがあります。
そのため、それまでは室内での製作が主だったのに対し、
印象派の方々はチューブ入り絵の具を活かして
屋外での絵画の製作をメインにしていたようです。
また、印象派の絵の他の特徴としては
・色彩分割や分割筆触などの表現方法
・日常の風景をメインに描く
・これまでにない斬新なアングルの絵
等があります。
技術の進歩を活かした新しい時代の流派って感じがしていいね。
日常の光景について描くっていうのも、何だかお高く止まった感じが無くていいな~。
俺の日常も誰か描いてくれないかな?
いっつもゴロゴロしてるだけだから見てもあんま面白くなさそうだな。
印象派の由来は?
印象派という流れは一体何故出来たのか?と言うと、
これは一枚の絵のタイトルがその由来となっています。
それは、モネという画家が描いた「印象 日の出」という絵です。
1873年、モネは当時フランスのパリで権威のあった展覧会に落選してしまいました。
しかしモネはその程度で諦める人間ではありませんでした。
モネは他の若い画家、セザンヌやルノワールなど総勢約30人と一緒に、
翌年の1874年に無審査のグループ展を開いたのです。
展覧会の審査に落ちたなら、自分で展覧会を開いちゃえばいいという発想と行動力はすごいな!俺も見習わないとな~。
他の若い画家たちにとっても、自分の絵を世に公表出来るチャンスだったろうし、良いイベントだったんじゃないかな。
ちなみに、このモネが開いたグループ展は後に
「第一回印象派展」と呼ばれるようになりました。
「印象 日の出」という絵は、このグループ展でモネが出展した絵だったのです。
印象派という名称は皮肉が込められたものだった?
グループ展を開いたのはいいものの、
そこには問題点がありました。
と言うのも、当時のパリでは伝統的なアカデミー様式の絵が主流で
・歴史的なテーマ
・宗教的なテーマ
・肖像画
などが価値のあるものと考えられていました。
つまり、印象派のような日常の風景などは軽く見られていたのです。
そんな風潮の中でモネの描いた「印象 日の出」は、
良く言えば時代を先取りし過ぎてしまったというか、
要は批難の的になってしまったのです。
モネら若い画家達の作品を批難した人物の中には、
ルイ・ルワロという新聞記者がいましたが、
このルワロは特に酷く、モネが出展した「印象 日の出」を
「描きかけの壁紙のほうがマシ」と言ったそうです。
いつの時代でも、新しいことにチャレンジする人間っていうのは周りから手痛いバッシングを食らうもんだよな~。
時にはこういう周りの批難とかをスルーするスキルも大事なのかもしれないな。
そして、モネ達第一回印象派展に参加した若手画家達は、
世間から皮肉を込めて「印象派」と呼ばれるようになってしまいました。
しかし、モネの鋼のメンタルはそんな皮肉程度で打ち砕くことは出来なかった…!
モネはその後もこうした展覧会を何度も開催し続けました。
すると、次第に世間の印象派に対する見方も変化していき、
支持されるようになっていきました。
印象派の絵は当初は評価も低く、売れませんでしたが、
次第に金融科家や百貨店の店主、銀行主などなど
様々な方々に受け入れられるようになりました。
最終的にはなんと遠くアメリカにまで販路が開拓されていくまでになったとのことです。
やっぱこういう底辺からスタートした若者が次第に世間に受け入れられていくって感じのストーリーはいつ見ても爽快感があっていいな!
時間はかかっても、良い物ってのはやっぱり世間に受け入れられていくものなんだろうな~。
印象派で有名な画家は誰?
ここまで印象派の特徴や由来、歴史などをご紹介してきましたが、
次はそんな印象派の中でも有名な画家さんと、
その代表作などをご紹介していきます。
もし興味を持った方は、是非見てみてください!
クロード・モネ(1840~1926)
まずご紹介するのは今回のお話でも大活躍した、
印象派の生みの親とも言えるモネさんです。
モネさんは「光の画家」という別名があり、
時間や季節の変化によって変わる光と色を生涯追求したと言われています。
代表的な作品は
・「睡蓮」
・「積みわら、夏の終わり」
・「日傘を差す女」
などなど。
カミーユ・ピサロ
次にご紹介するのはカミーユ・ピサロさん。
この方は印象派の中でも最年長者で、
1874年から1886年の間に計8回開催された印象派展に
なんと全て参加したと言われています。
50代になる頃は点描表現を取り入れた新印象主義の技法を試したりと、
創作意欲の旺盛な方で、生涯に1300点以上の油彩画を残したそうです。
代表的な作品は
・エルタージュの丘
・エラニーの干し草収穫
・帽子を被った農家の若い娘
などなど。
エドガー・ドガ
次はエドガー・ドガさんの紹介です。
このエドガーさんは印象派の画家ですが、
屋外ではなく室内の風景を描くことに意欲的な方でした。
特にバレエの踊り子や浴女をテーマとした絵が多かったそうです。
晩年は絵だけではなく、彫刻などにも手を出しています。
代表的な作品は
・舞台のバレエ稽古
・ダンス教室
・踊り子の花形
などなど。
印象派のまとめ:モネのメンタルすげええええ!!
印象派について調べていて思ったことは、
何と言ってもモネの行動力やメンタルの強さすげえええという事です。
権威のある展覧会に落ちてしまったら、大抵の人は
「もうダメだ…俺には絵の才能が無いのかもしれない…」
と思ってしまうかもしれません。
しかし、そこで腐るどころか
「だったら有志募って俺達の展覧会を開催してやるぜ!」
というのは本当に男として尊敬に値するメンタル!
そして行動力だと思いました。
新しことをやってのける人間と言うのは、
やっぱり一味違うんだな~とつくづく実感させられました。
俺も自分の流派を立ち上げるぞ!なべ派とか!ってことで展覧会開こうぜ!
やめとけ。