この前化粧のビフォーアフターの画像を見たんだけど、誰も信じられなくなったよ…。
そういうもんなんだよ、諦めなさい。
あれ? でも、すっぴんよりも化粧してる時間のほうが長かったら、そっちが素顔じゃない?
あ、初めてお前に共感しそうになったわ
こんばんは!
俺はオスのあざらしなので、あまり化粧の知識がないのですが、世間ではアイシャドウをするのが当たり前になっていますよね。
よく化粧のビフォーアフターの画像なんかが出回っていますが、オスの俺から見ると
「こんなに変わるものなのか!?」
と、毎回驚いてしまいます。
そんな感じで驚かされてばかり居ると、ついつい気になってしまうんですよね。
「最初にこの技術を考えた人はだれなんだろう?」
というわけで、今回はアイシャドウの謎について迫ってみたいと思います。
アイシャドウの歴史はとても古い
アイシャドウの歴史を辿ってみると、古代エジプトにまでさかのぼります。
だいたい紀元前3500年ほど前みたいですね。どんだけ前から化粧があったんだよ!
この時は孔雀石というものを砕いて粉末状にしたものを、目の周りに塗りつけていました。
粉が目に入って痛くなかったのかな…?
まぁ、普段から使われていたということは、特に痛くなかったからなんでしょうね。
ちなみに、このときは「化粧」というよりも、どちらかと言えば「魔除け」の意味が強かったみたいなんですね。
野球選手なんかも、太陽の光から目を守るために目の下をパンダみたいにしていますが、
あんな感じで「実用性を求めて」使われていたみたいです。
おしゃれってわけじゃなかったのかなあ?
そして、あの有名なクレオパトラもアイシャドウをしていたと言われています。
実際のところはどうなのか分かりませんが、よく再現画像などを見てみても、
目の周りがくっきりしていることが分かるかと思われます。
このような文化はローマ時代が滅ぶまでの間、ずっと残り続けたといいます。
その後、アイシャドウ文化の滅亡
アイシャドウ文化はやがて19世紀になるまで、人々から忘れ去られていました。
滅んでから1500年くらいの間は、誰もアイシャドウをしなかったんですね。
そして19世紀になってから、舞台の役者さんたちが遠くからでもハッキリと顔が確認出来るように、
アイシャドウをし始めたといいます。
現在の舞台を見てみても、結構ハッキリとしたお化粧をしていますよね。あれは遠くから見た時のために、大袈裟にメイクしているそうです。
その後、一般人のお化粧の手段として少しずつ浸透していったわけですね。
今では街中を歩いていると、目の周りが黒い人が多いからなー。
俺アザラシだけど、アイシャドウするともっとイケメンになれるのかな。
でも、しょっちゅう泳ぐから意味が無いか。
実は日本では当たり前のようにアイシャドウをしていた!
実は、日本では当たり前のようにアイシャドウをしていたといいます。
よく縄文人やら古代の日本人を再現した映像をの中で、
目尻のところに赤いお化粧をしているのを見たことはありませんか?
あれも魔除けとして昔から行われていたそうですね。
結局、その後は歌舞伎役者が現れるまで、
アイシャドウの文化は無くなっていたといいます。
んー、何気に最先端を言ってたんですね。
本格的に日本にアイシャドウの文化が根づいたのは、
結局戦後になってからなのでした。
結論:実用性からオシャレに
以前ジーパンのポケットに関しての記事でも書きましたが、結構「実用性」を求めて最初は使われていたファッションって多いんですね。
やっぱり機能美って凄いんだな。
実用性を求めた結果、無駄のないデザインになってきて人々に美しく見えるんでしょうか。
登山靴なんかも、一般的なファッションに使われていますしね。
まあ、俺アザラシだから関係ないけど。
さて、今回のまとめは
・アイシャドウは古代ローマの文化
・クレオパトラもしていた可能性が高い
・実は古代の日本でも当たり前のように使われていた
といった感じでした!
日本って色んなことをやってるなあ。
住んでいる場所が違うのに似たような文化があるって不思議ですよね。
何か裏で繋がりがあったのか!?と、アザラシなりに考えてしまいます。
さて、今回はこのくらいにしておきましょうか。
じゃあね!